歯医者・インプラント|大桑歯科
院長紹介

名前:安立 圭志(アダチ ケイシ)
生年月日:1976年8月2日
血液型:O型
趣味:献血、温泉巡り、料理
好きな歯科医師:内藤正裕、Raymond Kim(敬称略)
お気に入りの本:『ただマイヨジョーヌの為だけでなく』ランスアームストロング著

■略歴
2002年:朝日大学歯学部卒業、医療法人スワン会 港スワン歯科矯正歯科入社
2004年:藤田保健衛生大学歯科口腔外科 研究生
2006年:医療法人スワン会 港スワン歯科矯正歯科退社
2006年:中村歯科医院勤務
2007年:大桑歯科開業
2008年:IIRG(石川県口腔インプラント研究会)所属 C.C.C.S(スタディグループ)所属
2009年:北陸SJCD所属

歯科医師になったきっかけ

私の両親は町の接骨院を営んでおり、親戚も歯科とはあまり関係があるわけでもありませんでした。僕自身歯医者に患者としていった記憶は小学生の時3回、中学の時5回、大学の時数回くらいです。小学生のときは歯医者が嫌いで夜中泣きながら母に歯痛を訴えて、夜中に町の歯医者さんで神経を取ってもらった記憶があります。(あの時は西垣先生ありがとうございました…。)中学生になって学校の歯科検診で虫歯を指摘され虫歯を治したのですが、その時まさか自分が歯医者になっているとは想像もしていませんでした。歯医者を目指したきっかけは高校の進路相談です。昔から僕は芸術が好きで小さい頃から絵を書いたりプラモデルを作ったりするのが好きで、芸術に携わる仕事ができればいいなと思っていましたが、両親の勧めで歯科医師を目指すことになりました。(何か人様に貢献できる資格があれば喰うに困らないだろうといった父の計らいがあったようです。)私は歯科に対するたいしたコダワリもなかったので、ろくに歯科業界に対する情報収集もせずに歯科大学を目指していたのですが、歯科大学に苦労して入学してみたら…。第一声、大学の講師の先生から『歯科業界は昔と違って競争が激しく、診療評価も医科に比べるとずっと低いから君達はこれから苦労すると思うよ。』ありがたい言葉を頂きました。(;д;)

勤務医時代に思ったこと

一日に来院される患者様が非常に多い病院で勤務していたので、当時の私は毎日予約時間に追われ悪いところだけ見て治すといったこなす型の診療スタイルになっており、ゆっくり患者様とお話しする時間も持てませんでした。もともと小さい頃から根明な性格なので患者様とおしゃべりしたり、患者様を喜ばせたりすることが好きだったので、当時は一人ひとりに十分な診療時間を割けないことで悩んでいました。また勤務医時代に良き恩師に巡り逢い本当にさまざまなアドバイスと仕事に対する情熱を教えていただきました。恩師がいなければ今の私はいなかったでしょう。その恩師に仕事を通して教えていただいたことが、患者様と喜びを分かち合えるような診療と歯科治療を受けたことで患者様の人生のステップアップに繋がるような仕事をすること。Drとして患者様の人生の一部に関わるのだから、Drとしての努力はけっして怠らないこと。Drは勉強し続けるからDrでいれるのであって、自分を研鑽する努力しなくなったら只の人。私が辛く打ちのめされたときは私を守る傘になり、喜びはみんなで分かち合う。その時私も恩師のような歯科医師になりたいと心に誓いました。

父の背中と母の膝

私の父は町の接骨院で今でも毎日患者さんの為にひたむきに診療に頑張っています。父が祖父を好きなように私も父が好きです。父は何をしても怒ったりしませんでした。私の人生で父に酷く怒られたのは1回だけで母を悲しませた時だけです。私に何かを教えるようなことはしませんでしたし、私に何をしなさいとも言いませんでした。自分の人生だから自分でなんとかしなさいといつも無言の態度で示してくれました。私が開業にあたって資金繰りに困って父に相談したとき『自分も祖父に開業するとき援助してもらったから、俺がお前に援助するのは当たり前だ。今度は俺の番が来ただけだ。』と莫大な金額の借金の援助を即答してもらったのを今でも忘れられません。恥ずかしい話ですが、2,000円のサンダルすらなかなか買うのに戸惑う父です。趣味の釣りの道具入れは自家製でダンボールをテープで張り合わせたものを10年以上使っています。そんな父から教わったことは父の接骨院に通う患者さんからで、僕が大桑歯科の印鑑を作るときに『あなたのお父さんにお世話になったから、これまけたげるわ。』と随分安くしてもらった時でした。その時私は、人と人の繋がりほど尊く、ひたむきな努力は熟成を重ねとびきり上等の幸せになって帰ってくるものなんだと父の仕事を通して教えてもらいました。私もこういう仕事ができる人間になりたいと思ったものです。

私の母はよく言われる教育ママで小さい時からよく『勉強しなさい!』と怒られたものです。勉強の楽しさと価値が分からないまま随分だらしなく過ごした頃を恥ずかしく思います。今なら母の気持ちが分かります。全ては愛情の裏返しだったんだと。母は私が大学生のときに始めてアルバイトを始めました。もともと膝が悪く長時間の立ち仕事は膝に負担がかかるので当時私は母のアルバイトに反対したものです。少々のお金よりも母の健康が大切だったからです。やがて母の膝は悪化し、アルバイトも辞めざる終えなくなりました。病院に通院するのもやっとの状態です。しかし数ヶ月たつとまた母がアルバイトをしているのです。当時私は『自分の事ばっかり考えてバイトなんか辞めろよ!家族がお母さんの膝をどれだけ心配していると思っているんだ!』と怒鳴りました。すると母は『お父さんにも言ってないけど、私がアルバイトをするのは贅沢したいわけじゃない。お前が将来開業するとき最後に頼れるのは家族しかいないから私はお前の為に働いているんだよ。私が自分の為に買ったのは膝の薬代だけなんだよ…。』私は涙が溢れて止まりませんでした。人に愛されるということはこんなにも過酷で美しいものだと教わりました。私は世界中で両親が一番好きですし、両親から教わったひたむきな努力と無償の愛を大桑歯科に訪れるすべての患者様に伝えたいと思っています。

無痛診療と感染対策

歯科医師の仕事は虫歯を削って、歯周病のケアをして入れ歯のお手入れをする。極論を言えばそうですが、虫歯も個性があり誰一人同じものはありません。それゆえお口のトラブルは人それぞれで原因も異なり、治し方も自然と個人個人異なるのです。日本の国民皆保険制度は素晴らしいものですが、保険診療では誰がどのようにやっても同じ診療報酬しかいただけないシステムになっています。すなわち手を抜こうと思えばどこまででも出来ますがそれをするかしないかが歯科医師のプライドであり、大桑歯科では保険診療であっても一切の手間を惜しみません。しかし保険診療では材料的な制約やコストの制限から患者様にとって心から祝福されるような診療や被せ物を作ることができないのが現状です。私の目指す大桑歯科はただ虫歯をけずって銀歯を入れるだけの歯科医院ではありません。本当の意味での治療とは、治療した部位がより自然で美しく、末永く噛む機能を兼ね備えた被せ物を提供することなのです。銀歯はどこまで行っても銀歯で天然歯本来の色や温かみを回復することはありません。回復できるのは食べる機能たった一つだけです。人間にとって歯の役割は噛むことだけでなく、白く輝く歯は素敵な笑顔作り出し対人関係を円滑にします。

チャーミングな笑顔は精神的な満足感にも繋がっています。白い歯は清潔でPureな印象と若さの象徴なのです。大桑歯科では患者様に心からの笑顔をもたらし、仕事の自信にもなり、家族と素敵な思い出アルバムが作れるよう自分の歯に自分の気持ちの分だけ投資をしてもらいたいのです。その自分への投資が幸せになって自分に帰ってくるのをきっと私は知っているからです。その為に私達は日々患者様へ最高の治療を提供する為にミーティングや勉強会を行い、日々研鑽し続けています。